プロフィール

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はじめまして、konakiaこなきあです。

konakia Connect へご訪問いただきありがとうございます。
数あるブログの中から konakia Connect へ訪問いただけたのも、
私とあなたに ”” があったからだと思います。

検索して訪問いただいた方、
飛んで飛んで訪問いただいた方、
いろいろな方がいるとは思いますが、

せっかく”ご縁” があって
konakia Connect へ訪問してくれたあなたに、
こなきあの自己紹介をさせてください。

簡単な自己紹介と思ったのですが、
アラフィフの半生なのでかなり長くなりました。

お時間ある方は最後まで、
お忙しい方は気になるところだけ読んでください!

プロフィール

◆HN      こなきあ(konakia)
◆出身・在住  北陸・石川県
◆家族構成   夫・娘・息子
◆好きなこと  空の写真を撮ること・カラオケ
        (photACに投稿しています)
        ToonBlast(スマホゲーム)
        (チャンピオンリーグに出ることあり)
◆嫌いなこと  部屋の片づけ・算数
◆好きな食べ物 お寿司・バウムクーヘン・白米
        モンブラン・貝類・ステーキ
◆嫌いな食べ物 ゴーヤ・レーズン・レバー
◆性格     人見知りの小心者・おちょこちょい
◆職歴     広告代理店・スポーツ用品店・スナック
        ラウンジ・クラブ・引越センター
        印刷工場・エステサロンなどなど。

HN:こなきあ(konakia)の由来

こなきあ(konakia) の由来の説明の前に・・・

私は2020年8月某日。
サーバーを契約し、独自ドメインも取得し、
WordPressをインストールし準備万端でした。

それなのに、
2021年10月27日はじめてブログを投稿するまで、
1年以上放置していました。

なぜ、1年も放置したのかというと、
HN、ブログテーマ、方向性、ブログ名?を
決めることができなかったからです。

中でも1番悩んだのが HN(ハンドルネーム) でした。

そこ悩む?って思うかもしれませんが、
悩んでしまったんですよね。

ブログを始めようと思う前から、
いろいろな人のブログを読んでいたんですが、

たまたまかもしれないけれど、
自分の名前にブログと付けている人、

○○ブログや○○の雑記ブログ、
○○の旅行記ブログ、○○のおすすめ雑貨ブログ・・・
みたいな感じのブログがけっこうあって、

ブログを始めたら長く、いや、
ずっと続けたい!と思っていた私は、

「HN ってけっこう重要なんじゃない?」
「思い付きで安易に付けちゃダメだ!」
最初はそんなに重要視していなかった、
HN がとても重要なことに気付きました。

「HN の付け方」を何回も検索して、
ありとあらゆるサイトやブログを読んで、

「ひらがなが良い」、「本名に近い方が良い」、
「ローマ字がカッコいい」、「馴染みやすさが良い」、
「響きが重要」、「覚えやすさが重要」、「けっきょく好み」、
書かれていることをメモして、思いつく HN をノートに書いたり、

声に出して読んでみたり、
辞書や翻訳機能を使って意味や響きを調べたり、
同じ名前のブログやサイトがないか確認したり、

そんなことを繰り返していたら、1年が過ぎていました。

「ちょっと詰め込みすぎてわけわかめになってない?」
「1年もなにやってんだ、私!もう今決める!」

そう決意して、その日に決めたのが konakia でした。

私の名前をベースに、娘、息子の名前から1文字ずつとって、
konakia に決めました。

「けっこう単純なんですね~」と思われるでしょうけど、
私がブログを始めようと思ったきっかけが、

「娘と息子」だったので、私としては初心に戻った感じです。

2021年10月27日にブログをスタートして、
しばらくは konakiaでしたが、

なんだか真っすぐだな~と感じ、
「こなきあ」とひらがなに変更しました。

真っすぐな文字並びが、少し冷たく感じたんですよね。
ひらがなの方が、優しい感じがして気に入っています。

konakiaConnect(こなきあこねくと)

つづきまして、サイト名 konakia Connect の
由来や私の思いをお話します。

Connect は 繋ぐ・繋げる ・接続 という意味です。

konakia Connect(こなきあこねくと)に訪問してくれた方と、
繋がりたい、人と人を繋げたい、そんな思いでつけました。

人との繋がりって、
ありがたいな~って思うこともあれば、
煩わしいな~って感じることもあると思うんです。

“ 縁 “とか、” 繋がり “とか、
おかしな人のブログにきちゃった?
とか思わないでくださいね。

「人は1人では生きていけない。」とか、
「人という字は人と人が~。」なんて言うつもりはなくて、

1人が好き!1人が楽!って思っていても、
生きていれば、普通に生活していれば、
誰かしらと繋がることがあるし、

『世界人口白書2021』によると、
世界の総人口は78億7500万人だそうです。

その78億7500万人の中から繋がることができる人って、
” 縁 “がないと繋がれないと思うんですよ。

ブログもそうで、
アラフィフが書いているブログも、
世の中にはたくさんあると思うんです。

その世の中にたくさんあるブログの中から、
konakia Connect へ来てくれた方との、
繋がり、縁を大切にしたいと思い、

konakia Connect とつけました。

最初は無料ブログでした

私が「ブログ(blog)」という言葉を初めて知り、
興味をもったのは、今から17?18?年前です。

生まれたばかりの娘をいつものように抱っこしながら、
適当に残り物をつまむ朝食を食べているとき、

見たいとか見たくないとか、
番組の内容がどうこうではなく、
ただ時間がわかるようにつけていた、

たしか、朝の番組「〇くダネ!」で、

「芸能人や一般人がネットに書く日記が流行ってるそうです。
日記を人に読まれるなんて時代は変わりましたね~。」

番組終りの短い時間にキャスターがサラッと話したことで、

ネットに書く日記、ブログを知りました。

「人気芸能人が1日に何度もブログを更新するそうです。」

「○○さんが〇回更新したそうですよ。」

番組のエンディング曲が流れる中で、
本当に短い時間だったと思いますが、
アナウンサーがブログの話をしたことで、

初めてブログの存在を知りました。

当時の私は、
初めての育児に毎日てんてこ舞いで、
テレビをじっくり見ることはほとんどなく、

ニュースもドラマも見たいからではなく、
ただ” 時間 “がわかるからテレビをつけていました。

テレビから流れる情報は耳から入ってくるけれど、
どんな情報も記憶にも心にも残らない状態でした。

そんな私でしたが、
あの日聞いた「ブログ」の言葉は
なぜかずっと心に残っていました。

まあ、心に残ったからといって、
育児にてんてこ舞いしている私が、
「ブログ」を始められるわけもなく、

「ブログか~ネットに書く日記か~。」
くらいのものでした。

あの当時、携帯電話は持っていたけれど、
スマホなんてないから、ガラケーで、
携帯電話の使用目的の99%が通話でしたし、

パソコンはあったけど、
電源入れてネットニュースを見るくらい、
あとは、たま~~にゲームをするくらいでしたから、

ブログについて詳しく調べるとか、
自分もブログを書いてみる!
っていう発想がなかったんです。

初めての育児に慣れた頃、
「少しは時間に余裕ができたかな?」
と思ったら、下の息子を授かり出産。

ベテランまではいかなくても、
2人目育児は1人目より余裕をもってできるかと思いきや、
男子はすぐ熱が出たりお腹を壊したりで、
余裕はなく2度目のてんてこ舞いでした。

2度目のてんてこ舞いの最中も、
やっぱりブログは心の奥にずっとありました。

てんてこ舞いを踊ることが減ってきたのは、
娘と息子の両方が幼稚園に入ってからです。

この頃に、
人生で初めてのブログに挑戦しました。

きっかけは、
ママ友の中にブログを書いている人がいたことでした。

はじめてブログを知った頃より、
『ブログ』という言葉が
メジャーになっているとは感じていましたが、

まさか、
ママ友の中にブログを書いてる人がいるとは!
毎日のように会っているあのママが!

芸能人が書くブログしか知らなかった私は、
身近な人、ママ友がブログを書いていると知ったときは、
 衝撃 をうけました。

ママ友のブログは、子供の成長日記風で、
誕生日の様子、幼稚園でのイベント(運動会・発表会)、
家族旅行なんかを写真とともに投稿していました。

「パソコンとか機械系は苦手なんだけど、
 慣れるとけっこう簡単!子供のこと書くの楽しい!」

ママ友のブログを初めて読ませてもらったとき、
「ブログを書くことが楽しい!」
そう話すママ友の顔が本当に楽しそうで、

私はすごく羨ましくて、
ブログを書くことを決意しました!

すぐにママ友に無料ブログの始め方を習い、
「育児日記」のブログをはじめました。

「私もブログを始める!」すぐに決意して、
ママ友に教えてもらい始めた私でしたが、

パソコンを触るのは、
子供の写真をプリントアウトするとき、
ネットニュースを見るとき、
年賀状を作るとき、
年に数えるくらいだったので、

ママ友に「慣れれば簡単!」と言われたけれど、

何度聞いても覚えられないし、
書いてるうちに意味不明な文章になるし、
「慣れる日は本当に来るんだろうか?」

ママ友みたいにブログを書くのが楽しく感じるなんて、
私には来ない気がする・・・。

自分のポンコツぶりに、がっかりしました。

それでも、
ママ友からの「書いてるうちに慣れるって!」を信じて、

「子供が運動会で1位だった!メダルを貰えて良かったね~!」

「もうすぐ発表会!衣装作り頑張ろう!」
「発表会で元気に踊る姿、めっちゃ可愛かった~!」

写真なし、文字装飾なし、絵文字なし・・・

「自分が小学生の頃に書いていた絵日記よりひどいな。」

そんなひとり言を言いながら、
黒一色の地味なブログをコツコツ書き続け、
パソコン操作に慣れるよう努力しました。

ひとさし指一本でキーボードをポチポチから、
徐々に使う指も増え、黒一色が少しずつカラフルになり、

少しずつですが、私とブログが成長していきました。

初めて写真をアップロードできた日は、
本当に嬉しくて子供たちに何度も見せて、
1人で大喜びしていました。

初めてのブログは悪戦苦闘することが多くて、
凹んだり落ち込むことばかりでしたが、
嬉しい経験もたくさんできました。

初めてコメントを頂いた日、
私のブログを「楽しみにしています!」といって、
読者になってくれた方のこと、
今思い返しても嬉しい思い出です。

兼業主婦への道のり

パソコン初心者の私が悪戦苦闘しながら
続けていた、初めてのブログは、
子供の成長とともにイベントが減り、

子供に「ママ、写真やめて!」とか言われ、
写真を撮らせてくれなくなり、
更新する回数が激減しました。

子供のことを書いていたブログなのに、
子供から写真の許可がもらえず、
小学校は親が見に行けるイベントが少ない、

そうなると、
書くことが無い=更新できない
まあ、当然と言えば当然の結果ですね。

あともう1つ、
専業主婦を卒業して、兼業主婦になったことも、
ブログが更新できなくなった理由です。
・・・理由じゃなくていい訳ね。

「理由です。」なんてけっこう簡単に、
兼業主婦になれたみたいに書いていますが、

兼業主婦への道のりは、とても険しいものでした。

上の子が小学校へ通うようになって、
子供の世界が広がり、興味を持つことが増え、

「ピアノ習ってみたい!」
「空手やってみたい!」

「やってみたい!」の言葉が出るようになり、
すべては無理だけどできるだけやらせてあげたい!

下の子も小学生になればきっと同じように
何かしらに興味を持つだろうから、
今のうちに準備しておこう!

私は専業主婦を卒業し、兼業主婦になることを決めました。

週に4日ほど朝8時半から15時まで働こう!
毎日働きに出るわけじゃないから、いけるでしょ!

働いたことが無い訳じゃないし、
なんなら独身時代は寝る間も惜しんで働いていたし、
昼間の5時間のパートくらいならいける!

あの頃の私は兼業主婦を、いや、パート探しを、
完全に舐めきっていました。

「働く気があれば、すぐにパート先が見つかり、
働きに出れるでしょ!」そう思っていたのに、

2児の子持ち、平日のみ週4日、時間は昼間のみ。
土日祝日は出勤不可。子供が病気のときも出勤不可。

こんな悪条件の主婦ですよ、
当然のようになかなかパート先が見つからない。
面接どころか問い合わせの時点で断られる。

毎日毎日、パート探しのため、
○○○ワーク、○○○ジョブ、○○トルとにらめっこ。
「これっ!」と思ったらすぐ電話!

何件電話したかわからないくらい電話して、
「今回はちょっと条件に合わないので。」
と何度お断りされたことか。

「子供のために兼業主婦で頑張る!」
そう意気込んでいたのに、

面接にさえ行けないなんて私ってダメダメじゃん。と意気消沈。

パートを探すのってこんなに大変なんだ!
子持ち主婦ってだけで面接もしてもらえないんだ。

もしかして、子持ち主婦とか関係なくて、
私がダメだったりする?

あの頃は、
求人雑誌を広げてため息をつき、
ただただ落ち込む毎日。

パート探しを始めた頃は
「子育てブログから私のパート先でのことを書くとかいいかも!」
なんて思っていたけれど、

いつの間にかパソコンの前に座ることもなくなりました。

何件電話したか、何件面接に行ったか、
ぜんぜん覚えてないけれど、

春に「働こう!」と決めてから、
かなりの時間はかかりましたが、

子供の夏休みが終わる頃、
印刷工場で週4日朝8時半から15時までの

人生初の「黙々作業」でのパートが決まりました。

出来上った印刷物の仕分けや、
発送のための梱包などを黙々とする仕事。

朝8時半から15時まで。
休憩時間以外は私語禁止の厳しい職場に、
3年ちょっと勤めました。

人見知りの小心者の私ですが、
なぜか職歴のほとんどが接客業。

そんな私が、初めて経験した黙々作業でした。

黙々(もくもく)作業

「人付き合いが苦手」「あまり人と接しないで黙々と仕事がしたい」
そんな人に人気な仕事。
工場などで、コツコツと単純作業を繰り返したり、
集中して作業をする仕事のことをさします。

黙々作業は嫌いじゃない、
どちらかと言えば好きな方でしたが、

多いときだと20人くらいが作業しているのに、
作業していて出る、紙が擦れる音、箱に入れる音、
機械的な音だけが響く室内を、

社員の人がずっと見回りしいて、
少しでも話すと「なにかありましたか?」と
早歩きで迫ってくるのは恐怖でした。

3年以上務めたけれど、
無表情で早歩きで迫ってくる、
あの恐怖に慣れることはなかったです。

エステティシャンはじめました。

印刷工場にはパートとして働いていたのですが、
パートの人を派遣に切り替えるとかなんとか言われ、
(この辺はいまだに理解できていませんが)

  • 週5日(月曜日から金曜日)
  • 朝8時半から夕方16時まで
  • 繁忙期や特別注文があった場合は土曜日も出勤

「上記の条件を満たせる人はシフトにいれるけれど、
 満たせない人は人数が足りないとき声を掛けますね。」

社員の早歩きは恐怖だけど、ようやく慣れた職場、
「辞めたくないな~。」とは思いましたが、

週4日から週5日、時間も1時間延びるとなると、
家事や育児に影響が出るのは想像できたし、
何より自分の体力が持たない!と思い、

印刷工場を辞めることにしました。

4年ぶりのパート探しは、
子供が2人とも小学生になっていたこともあって、

少しだけですが選べる職種が増え、
働ける日数や時間も増えて、
4年前よりはスムーズに仕事先が決まりました。

印刷工場で黙々作業していた私が、
次に選んだのは ”エステティシャン” でした。

人見知りの小心者の私ですが、
やはり、接客業が好きなんでしょうね。

”エステティシャン募集” の求人を見つけて、
すぐに応募しました。

飲食店での接客とエステサロンでの接客を、
同じとは思っていませんでしたが、

カテゴリーは接客業で同じだし、
接客業自体は初めてじゃないし、
「すぐに慣れるでしょ!」と楽観視していた私。

別にエステの仕事が簡単だとか、
楽だと思っていたわけではないですよ。

接客業経験者だからすぐに馴染めるというか、
仕事を覚えることができるだろうと思っていたんです。

が、

エステティシャンはエステを覚えて、
お客様にエステをするだけで良いと、
勝手に思っていた私は、

エステの施術、カウンセリングの仕方、
メイクの仕方、エステ商材、メイク品の研修、
毎日やること覚えることが山ほどあって、
楽観視していた自分を猛省することになりました。

私は独身時代に何件か?何度か?
エステサロンに通ったことがあるのですが、
もちろん、お客としてです。

通っていたエステサロンのほとんどが、
カウンセリングする人、エステをする人、
エステ後に次回の予約を取る人、と
全てが分かれていました。

だからというか、経験上というか、
私はエステティシャンとして入店したから、
エステだけしていればいい!
と勝手に思っていたんです。

ところが、
私が採用されたエステサロンは、

お客様1人にスタッフ1人が付き、
カウンセリングも、エステも、メイクも、
次回の予約もすべて自分1人で担当する、

専任性が基本のサロンだったのです。

エステの施術を覚えるだけでもけっこう大変なのに、
カウンセリング、商品管理、お金の管理、
担当したお客様にかかるすべてのことを、
自分1人でやらなければなりません。

記憶力?物覚えは悪い方ではないのですが、
エステの施術を覚えるときは、頭と体力を使い、
カウンセリングの仕方、商品の使用方法などを
覚えるときは、頭を使うので、

肉体的にも脳みそ的にも、疲労感が半端なかったです。

肉体的にも脳みそ的にも疲労感が半端ない
エステティシャンの仕事でしたが、
基本的には楽しく働いていました。

人見知りで小心者の私には、
専任性が基本というのは、
すごく合っていたように思います。

初めてエステサロンに来られたお客様を、
カウンセリングだけする訳じゃなく、

カウンセリング、エステ、エステ後のメイク、
次回の予約まですべてに関われるので、
さすがの私もお客様との距離も近くなり、

「初めてのときはお互い緊張しましたよね~」
なんて笑って話せるようになったり、

「彼氏とケンカして~睡眠不足です。」
「今日はエステ終わってからデートなんで、
 バッチリメイクでお願いします!」

そんな風に、
エステと関係あるような無いような、
会話までできるようになっていました。

もちろん、楽しいことばかりじゃなく、
つらいこともたくさんありました。

つらいことで一番覚えているのが、研修会です。

エステの施術、商材も改良されたり進化し、
メイク品も季節ごとに限定品が発売されます。

そのため毎月2回は研修会があり、
3か月に1回くらいは大人数が集まる研修会もありました。

月2回の研修会はお勉強会みたいな感じで、
どちらかといえば好きだったのですが、

研修時間の半分以上をロープレに使う、
大人数が集まる研修会が、
私はつらくて苦手でした。

ロープレというのは、
お客様への対応方法が独自のものになっていないか、
言葉遣いや所作が間違っていないかを、
エステティシャン同士で確認しあうこと。

エステティシャン同士で、
お客様役とエステティシャン役に分かれ、
主に、カウンセリングを実践しあうすのですが、

普段はカウンセリングルームで
お客様と2人きりで行うのに、

多いときだと30人近く集まる研修会場で、
グループに分かれて行われる、
いや、させられるロープレは、

苦痛以外のなにものでもありませんでした。

研修会が終わりに近づくと、
「代表して何人かに前に出てやってもらいます!」
必ず聞こえてくるこの言葉。

研修が終わるのは嬉しいけれど、
指名されるんじゃないかと不安で、

研修担当のスタッフに見つからないように、
下を向き、前に座る人と重なるようにして、
指名されるのを回避しようと必死でした。

今思い返しても、
「楽しかった~。」と言えない思い出です。

督促状が届きました

ロープレは苦痛でしたが、
楽しいことの多かったエステティシャン。

頭と体力が持つ限り、続けよう!

そう思っていたのに、
ある日突然、辞めなければなりませんでした。

ある日、仕事を終え帰宅した私。
郵便物の中に『督促状』の文字を発見しました。

「えっ、怖い。」

『督促状』の文字に、
ビビってしまい、暑くもないのに汗ダラダラ、
封筒を開けたいのに指が震えてなかなか開かない。

やっとの思いで封筒を開け、
中身を確認してみると、

「国民健康保険料が未払いです。期間2年分。
 〇月〇日までにお支払いがない場合は、差し押さえさせていただきます。」

すでに、『督促状』でビビっているのに、
『差し押さえ』まで書かれていて、
ビビりを通り越して愕然としました。

黒一色で書かれた用紙を、
何度も読み返して理解しようとするけれど、

「国民健康保険?誰の?」
「未払い?2年?差し押さえ?」
「え?私?扶養だし社会保険だよね?」

頭の中は「?」でいっぱい。

何度読み返しても理解できないので、
封筒に書かれた健康保険課の窓口に電話しました。

口から心臓が飛び出るんじゃないか?ってくらい、
ドキドキしながら電話したのに、

電話に出た人は
「あ~よくいらっしゃるんですよね~。」と
またこの問い合わせか~的な態度で、

「2年以上前から扶養じゃないですよ。
 国民健康保険に切り替えないといけないんですが、
 手続きされていませんし支払いもされていません。

 まとめてお支払いしますか?」

「まとめてなんて絶対に無理です!」

「では、分納になりますね。
 国民健康保険の手続きなどあるので、
 一度窓口までお越しください。」

用紙に書かれていることが理解できなくて電話したのに、
説明されてもぜんぜん理解できませんでした。

「本当に扶養から外されたこと、ご存じなかったんですか?」
「2年以上ですよ?保険証持ってないこと気付きませんでした?」
「気付かない人は多いですけど、2年以上気付かない人も珍しいですよ。」

健康保険課の窓口で
疑いの目で私を見ながら質問してくる職員に、

「本当に知りませんでした。」
「病気しなくて保険証ないなんて気付いてませんでした。」
「病院以外で保険証だすことなくないですか?
 身分証明は免許証が普通ですよね?」

淡々と話すけど、言葉の端々に
本当に?的な疑いの目で見てくる職員に、
イラっとはするけれど、私も淡々と答えました。

最終的には、悪質性が無いということで、
分納で支払うことが認められました。

「知らなかったとはいえ、払っていなかった自分が悪いんだ。」
そう思うようにして手続きしました。

「一括じゃなくて良かった!分納にしてもらえて助かった!」

働いているとはいえ、
70万円近くの滞納金を一括で払うなんて、
絶対に無理だったので、

分納にしてもらえてホッとはしたけれど、

「私ってなんで扶養から外されたんだろう?」
「外すときって声掛けとかないんだろうか?」

心の声が漏れていたようで、

「疑問に感じているなら直接聞いてみたらどうですか?」
そう言って職員の方が紙とペンをそっと私の前に置きました。

「聞きたいことを紙に書いて電話すると良いですよ。」

なんていい人!
電話するのを見守ってくれるんですね!
疑いの目で見てるなんて思って、ごめんなさい!

職員の方に見守られながら?
旦那の会社が所属する「保険組合に」電話しました。

「疑問に思うことを聞くだけ!」
「緊張する必要なんて全くない!」

そうは思っても、
口から心臓が出るんじゃないか?って
くらい緊張しながらも質問した私に、

「個人事業主の方はみなさん外しました。
 そのように決まりましたので。」

保険組合の人はサラッと言って電話を終わろうとする。

「いやいや、待って待って!
 そんな簡単な説明で納得できませんけど!」

「これまでもずっと個人事業主で扶養だったのに、
 確定申告書も提出してOKもらってましたよね? 
 急に外されるっておかしくないですか?」

食い下がる私に、

「以前はそうでしたが、
 いまは個人事業主の方は外すと決まりましたので。」

またもやサラッというだけ。

「同じような問い合わせが何件かありましたが、
 みなさんに同じ説明をしています。」

説明って、決まったことを一方的に言ってるだけじゃん。
こっちは理解も納得もできてないわ!

イライラして腹が立ったけれど、
相手の言い方、声色で、
「何を言っても無駄なんだろうな。」
そう思った私は、

「扶養に戻るにはどうしたらいいですか?」

最後に扶養に戻る方法を聞きました。
(本当にヘタレな私でした。)

「個人事業主を辞めたらすぐに扶養に戻れますよ。
 派遣とかパートをされたらどうですか?」

「あっ、個人事業主を辞めたら、
 忘れずにこちらに連絡してくださいね。
 確認が取れ次第すぐに扶養に戻しますから。」

めちゃくちゃ緊張して電話したのに、
聞きたいこともほとんど聞けず、
納得できる答えも聞けず電話は終了しました。

見守ってくれた職員の方にお礼を言い、
健康保険課をあとにしました。

三度目の就活

エステティシャンを辞めたくはないけれど、
扶養に戻らなければ、
分納にしてもらった保険料以外に、
自分の国民健康保険料を払わなければならない。

これまで以上に仕事を増やして、
収入を上げれば払えなくもないかもだけど、

仕事だけに時間を使えるわけじゃないし、
自分自身の許容オーバーで、
何もかもが中途半端になるのがわかる。

健康保険課の職員の方にも言われたけど、
ここは一旦、不要に戻った方が良いな。

エステティシャン、辞めよう。

辞めるつもりなんてぜんぜんなかったので、
自分で決めたことでしたが、
あの時は本当に悲しかったです。

悲しかったっけれど、
溜まった保険料、延滞金、
新たに年金の未納分も加わったので、

「悲しんでいる暇ない!早く引継ぎして、
 派遣かパートを探さなければ!」

自分を奮い立たせて、引継ぎをしました。

「え~なんで~?また戻ってくるよね?」
「せっかくいろいろ話せるようになったのに~。」
「エステしてもらうの楽しみだったのに、残念。」

そんな風に言ってくれるお客様の言葉に、

エステティシャンとしてちゃんとできてたんだ!
この仕事をやって良かった!

辞めると決めてから悲しくて寂しかったけど、
お客様の言葉に励まされて、
最後まで引継ぎして辞めることができました。

エステティシャンを辞めて、扶養に戻る!
そう決めた頃、
友達に頼んでスナックでアルバイトを始めました。

扶養に戻れば自分の保険料を払う必要はないけれど、
滞納金と延滞金を分納で払わなければならないので、
無職、無収入じゃヤバい!そう思ってのことでした。

エステティシャンを完全に辞めてからは、
昼間は就職活動をし、夜はスナックで働きました。

保険組合の人は「パートでも派遣でも~」と
簡単に言ってくれましたが、
パートも派遣もそんな簡単に見つかるはずもなく、

三度目の就活スタートです。

二度目の就活は、
子供が小学生に成長してくれてて、
就活をスムーズに早く終えれたのですが、

三度目の就活は、
上の子の高校受験、下の子の中学進学の年で、
何かと忙しいというか、時間がなくて、
就活自体がなかなかできない状況でした。

娘が部活動をしていた頃は、まだよかったけど、
部活動を引退し、本格的な受験体制に入ってからは、

三者面談、高校見学会、体験入学、
塾の面談、送迎、模試の送迎、
毎日何だかんだと用事がある状態。

息子のサッカーも6年生になってから、
試合数が増え週末はほぼ送迎で埋まりました。

基本、平日はワンオペの我が家、
しかも ”うっかり” の多い私なもんで、
毎日バタバタのドタバタでした。

在宅ワーク

一度目と二度目の就活は、
求人情報誌とにらめっこが、
メインの私でしたが、

三度目の就活は、少し進歩して?
コンビニで求人誌を取ってくる→にらめっこ

から、

自宅に居ながら、
スマホやパソコンを使って、
情報を得るようになりました。

そうして少し進化した私は、
在宅ワーク
という新たなワードを知りました。

週4日9時から15時まで・・・日時が完全に固定されるのはきついな。
土日どちらかを絡めた週4日・・・土日はサッカーの試合でほぼ埋まってる。
遅番のできる人歓迎!・・・子供の塾の送迎があるから無理だな。

これいいな~と思っても、
自分都合、子供関係の都合で、
なかなか就職先が見つからなかった私は、

在宅ワーク

その響きに、
外に働きに出るのが難しいなら、
家で働けばいいんじゃない?

就活がうまくいかない私は
どんどん「在宅ワーク」に興味がわきました。

在宅ワークをネットで検索して、
一昔前は「内職」が定番だったけれど、

最近の在宅ワークは、
パソコンを使った、ネットビジネスも指すと
「在宅ワーク」を検索していて知りました。

プログラミングや、デザインなど、
資格やスキルが必要なものから、
アンケートサイトやアフィリエイトなど、
資格やスキルの必要ないものまで、

多種多様な在宅ワークがあることに、
とても驚きました。

その頃すでに、
アンケートサイトに登録していて、
暇な時間にちょこちょこ答えたり、

ポイントサイトに登録して、
モニターしたり買い物をしたり、

〇カリもやっていました。

在宅ワークという言葉を知らずに、
いくつかの在宅ワークをしていたのです。

まあ、月に数百円、多くて数千円しか
稼げていなかったので、

自分でも働いているという感覚ではなかったです。

ブログアフィリエイト

在宅ワーク・ネットビジネスについて、
検索し、いろいろなことを知りました。

アンケートサイト、ポイ活、〇カリ以外に、
転売に挑戦したり、仮想通貨の勉強もしました。

滞納金を払わなきゃ!延滞金を払わなきゃ!

焦る気持ちから、
これならやれるかも!とはじめてみたり、
これの勉強してみるか!と教材を購入したり、

あれもこれも手を出して、
けっきょく何も続かない、
もちろん収入にも繋がらない。
増えるのは焦る気持ちだけでした。

就活もうまくいかない、
ネットビジネスもうまくいかない、

頭の中は焦りと不安でぐちゃぐちゃ。

何かしていないと不安になるので、
毎日パソコンの前に座り、
ひたすら「ネットビジネス」を検索。

私がやりたいことってなに?どれ?

それは、ブログです!

冷静に考えたら、ブログをまた再開したい。
収入を得られるものを始めるべきだとは思うけれど、
ブログを書きたい気持ちが一番強い!と気付きました。

ブログアフィリエイト、
アドセンス、どっちも勉強しました。

自分の書いたブログでアフィリエイトできるとか、
アドセンスに合格できるとか思ってないけど、

ブログを書きたい気持ちが一番強いから、
ずっと続けられる自分のブログを作ろう!
無料ブログじゃなくて、有料ブログを!

これならできそう!これならすぐ収入になるかも!
じゃなくて、やりたいことをやろう!
そして収入を得られるようになろう!

あちこち回り道しましたが、
ようやくたどり着きました。

今はまだ、微々たる収入しかありませんが、
書くことも楽しいし、続けたいと思っています。

ブログやるなら特化型!
トレンドブログがアクセス多い!
そんな言葉を目にするたびに、

雑記ブログじゃダメなのかな?
そろそろ方向性を変えるべき?

迷うこともありますが、
続けながら試行錯誤していこう!
何より続けることが大切!
そんな気持ちでいる今日この頃です。

こんなに長いプロフィールに、
最後までお付き合いくださりありがとうございました。

一旦これで終わりますが、
まだまだ書きたいことはあるので、
折を見て追加していこうと思います。