父から言われた「あんたが勝手に!」の言葉にメンタルやられました。

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こんにちは、

ここ最近、
いろいろな人からの心無い言葉で、

けっこうメンタルがやられ気味のこなきあです。

電話でだったり、
面と向かってだったり、
SNSだったり、
相手からの攻撃方法はさまざまですが、

攻撃方法が違っても受けるダメージはほぼ同じ。

けっこう落ちこんで、
何もかもが嫌になったりしましたが、
ブログを書くことを辞めようとは思いませんでした。

そんな
多方面から攻撃を受け
メンタルやられ気味ですが

今回は父からの攻撃で、
メンタルやられながらも
私が思ったことや、
愚痴なんかを書こうと思います。

父親からの口撃

「あんたがお母さんを勝手に入院させたからこんなことになった!」

6月の下旬に父から言われた言葉。

母が5月の上旬に入院して、
1人暮らしを余儀なくされている父からでた言葉。

娘に向かって
「あんた」呼ばわりしたこともそうですが、

「お母さんを勝手に入院させたから!」や
「こんなことになった!」の言葉に、

怒りとかではなくて、呆れてしまって、
何もかもが嫌になってしまいました。

以前書きましたが、
父は「頑固でわがままな王様」です。

50年以上身の回りのことを母に任せてきた父は、
母が入院して初めて自分で自分のことをしています。

洗濯、掃除、食事の準備、買い物、支払いなどなど、
これまで母に任せっきりだったことを父が自分でしています。

80歳近くになって初めてづくしの父は、
イライラが溜まったんだと思います。

それが爆発して
「あんたがお母さんを勝手に入院させたからこんなことになった!」
と私に文句?暴言?口撃?してきたんだと思います。

わかってあげるべき?

朝、いきなり我が家へ突撃してきて、リビングに入るなり、

オペラ歌手ですか?ってくらいの大きな声で、
「あんたがお母さんを勝手に入院させたからこんなことになった!」

「わしは家で1人。コロナで面会もできない。子供たちは誰も来ない。
 あんたがお母さんを入院なんかさせるから!」

「お母さんに入院させられた!ってわしが恨まれたらどうしてくれる!」

「おはよう」のあいさつもそこそこに、
リビングの真ん中に立って私へ口撃してきました。

娘を学校へ送りに行く前だったので、
準備する娘にも当然その叫び声は聞こえていました。

玄関を開けるなりリビングにドカドカ入ってきて、
大きな声で不満や文句を言う父の姿に驚いていました。

私は大声で怒鳴るように話す父の姿が、
久しぶりすぎて何も言えずにいました。

娘は大きな声を出す父(娘にとっては祖父)の姿に、
私は久しぶりに見る父の姿に、
母娘でドン引きでした。

私への口撃が一段落したら次は、
「洗濯機の使い方がわからん!」
「わしは毎日ごはんを自分で作ってる!」
「子供も孫もぜんぜん家に来ない!」と
愚痴や文句を言い続けていました。

私が何か話そうとすると、かぶせるように口撃してくる。

10分ほど黙って聞いていた私に、
気が済んだ父は「そういうことだから、頼むよ!」
そう言って帰って行きました。

「そういうことってどういうこと?」
「頼むよって、何を?」
意味不明すぎる父からの口撃に朝からどっと疲れました。

父が1人での生活で寂しいのはわからなくもない。

でも、
3人の子供はそれぞれに結婚し
子供をもうけ家庭がある。

平日は仕事をしているし、
休日は子供のことなどで用事もある。

それでも時間を見つけては父の様子を見に行き、
母の病院へ差し入れをしたり、
役所や銀行で手続きや申請をしている。

わがまま王様は、
細かいこと面倒くさいことは丸投げで、

自分がやりたいこと、
気分が乗ったときしか行動しない。

母が入院している病院からの電話や
必要な書類の記入、申請などは、

「難しいからあんたがやって!」と私に丸投げ。

人の家のリビングで不満や文句を言っているけれど、
洗濯も食事の準備も自分のためじゃない?
買い物が大変だっていうけど、自分が食べる物でしょ?

姉や私が作った料理を、
「好みじゃない。」「量が多い、少ない。」と
文句ばかり言うから誰も差し入れしなくなったんだよね?

父が帰った後、つい娘に愚痴ってしまいました。

母の圧迫骨折を隠した父

そもそも、母が入院することになったきっかけは、
圧迫骨折による歩行困難でです。

バリアフリー化されていない家ではトイレもお風呂も
人の手を借りなければ難しく入院させました。

・・・建前はそうなっています。

2年くらい前に、自営の常連さんや近所の人から、
「お母さん元気ないけど大丈夫?」
「何かの病気なんじゃないの?」
母を知るいろいろな人から言われて、
私と姉で母を病院へ連れて行き検査してもらいました。

その時に「うつ」「認知症予備軍」と診断されました。

そのときに、
元気がないように見える、口数が少ない、
行動がゆっくりなのは、
「うつ」が影響していると言われました。

元気だった頃より動きがゆっくりなのは、
そのせいだったんだと私も姉も理解しました。

でも本当はその頃から「圧迫骨折」の影響で、
膝や腰が痛かったけれど、病院嫌いの母は、
痛みなどを言うと病院へ行かされると思い、

私や姉の前だけでなく、
医師にも痛みがあることを言いませんでした。

あとになってわかったことですが、
母が圧迫骨折で安静にしなければならないことを、
父だけは割と早い時期から知っていました。

私と姉が付き添って病院へ行ったあと、
「腰が痛い」と言っていた母を、

父が病院へ連れて行って検査をしてもらい、
圧迫骨折という診断結果をだされていました。

でも、父の中では圧迫骨折より
「うつを改善」する方が重要で、

私や姉には
圧迫骨折という診断が出たことは報告せず、

母を毎日のように「うつのリハビリ」と
散歩へ連れ出し、軽い運動をさせ、
自営を仕舞う片づけも手伝わせていました。

「膝が痛い」と母が訴えても
「怠けるのが一番ダメだ!」と聞く耳を持たず。

うつを改善するには「散歩」と「人と会う」ことが一番!
そう信じて毎日のように散歩に連れ出す父に、
腰や膝が痛いと言えば行かなくて済むと思い、
父に痛みを伝えた母でしたが、

結果的には
「圧迫骨折」「安静に」と医師に言われても、
「うつを改善」するには”散歩!と人に会う!”が優先され、

「散歩」だけで済まなくて、
自営の片づけまでさせられることになってしまいました。

母からのSOS

母が「うつ」や「認知症予備軍」と診断されてから、
父は何かよくわからない変なスイッチがはいってしまい、

「お母さんは、わしが看る!」と断言し、
家でも外でも母と一緒に行動していました。

父の本当の姿「頑固でわがままな王様」を知らない、
親戚や自営の常連客さん、近所の人からは、

「お母さんのためにお父さん一生懸命だね。微笑ましいね。」と

かなり高評価を受けていました。

でも、断言され付きまとわれていた母からは、
「お父さんがあれこれうるさくて疲れる。」
「家に居ることがほとんどなかった人なのにずっと居る。」
「疲れて横になりたいけどお父さんが・・・。」

ごくたまにですが、
私に電話をしてきて愚痴っていました。

その頃はまだ私は母の圧迫骨折を知らなくて、

「無理して父に従わなくてもいいけど、
少しの散歩はいいんじゃない?」
「50年放置だったくせにいまさらだよね~。」と
まとわりつかれて困る母の愚痴を聞いていました。

母の愚痴を聴くだけじゃなく
父にあったときは
「母に無理をさせるな!」とくぎを刺していました。

父にくぎを刺すだけ、注意するだけで
私は満足してしまっていました。

今思い返すと父が不在のときにかけてくる、
愚痴電話は母からのSOSだったんだとわかり、
気付いてあげられなかったことを反省しています。

いつものように自営を片付けていたある日、
「痛くてどうしていいかわからない。」
「今日は帰って家で横になってもいい?」
父が居ないときに母が私に言ってきました。

自営を辞めるのが決まったとき、
解体や大きな家具などの処分は業者にお願いしていました。

小さな棚や食器類、調理器具などは、
自分たちで片づけることになっていたので、
家族で時間を見つけては処分作業していました。

元気に動いていた頃とは違って、
動きがゆっくりになっていた母には、

「無理して来なくていいよ。」と伝えていたのですが、
お店に行くといつも父と来ていて

「お母さんが行くっていうから、
体動かした方が良いもんな!」
父もそう言っていたので、

「自分が40年近く切り盛りしていたお店だから、
母も最後まで関わりたいんだろうな~。」
と思っていました。

そう思っていた私は、
「今日は帰って家で横になってもいい?」
母のその言葉にびっくりしました。

父への事後報告

父が居ないときに母が言った言葉が気になって、
その日の片づけを終えてから母を見に行きました。

父はどこかへ出かけていて不在でした。
いつもいるリビングへ行くと、

電気も付けずに、
布団の上で膝を抱えて、
小さくなって眠る母を見つけました。

着替えもしてなくて、
帰ってきてそのまま布団に横になったんだと、
見てすぐにわかりました。

父が居ないときに、
「今日は帰って家で横になっていい?」
母が言った言葉の意味と、

父は母の体が調子がいいとか悪いとか関係なく、
「体を動かすのが良い!」と
無理やり母を片付けに連れてきていたんだ。

痛くて体を動かすことなんてしたくないのに、
我慢して片づけに来ていたんだ。

小さくなって眠る母の姿を見てわかりました。

その場で病院に電話して、入院させてほしいとお願いし、
父が帰宅する前に母を連れ出し入院させました。

父が「あんたのせい!」と言うのは、このことがあったからです。

母の入院理由が建前なのは、
本当は父から母を離すための入院だからです。

父がなぜ母が圧迫骨折と診断され安静にするように言われていたことを、
私や姉に報告せず隠して、母に安静とは反対の行動をさせたのか、
いまだにわかりません。父に聞いても答えはありません。

コロナ禍でお見舞いにも行けず、
スマホを持たない母とは連絡もできない。
結婚して初めて一人暮らしになった寂しさはわかる。

我が家に突撃してきたのも、
寂しさからの行動だと、いまなら理解できます。

でも、母が圧迫骨折で安静にしなければならないことを、
私たちに隠していたこと、無理をさせていたことは、
”なかったこと”にはできません。

応戦しています

父が突撃してきて口撃を受けたあと、
私はかなりイライラモヤモヤしました。

母を入院させたのは悪いことだった?
私が実家へ通う方法を取るべきだった?
マイナス思考になりメンタルもやられました。

私に口撃したことを、
多少は悪かったと思ったのか、

父から2日に1回位の割合で、
電話がかかってきましたが、

父からの電話をとらず、
実家へ父を訪ねることもしませんでした。

80歳近い父親を無視するなんて、
我ながら大人げないとは思いましたが、
イライラモヤモヤがなかなか消えなくて。

でも2週間くらいで、
大人げないことは止めようと思い、
父からの電話には出るようにして、
たまに実家へ父の様子を見には行っています。

私にダメージを与えたとは、
微塵も思っていない父の変わらない態度に、

イラっとはしますが、
1人で生活していて寂しくていったんだろう!
そう思うようにしています。

母が退院しないことに、
ぐちぐち言ってくることも、
あんたが入院させたから!も、
相変わらずいってきますが、

いまは言われっぱなし、口撃されっぱなしではなく、
私もそれなりに口撃し返しています。

口撃はまだまだ続くと思いますが、
私もそれなりに応戦していこうと思います!


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